
学校の怪談は、
いつ、誰が語り始めたのか分からない。
気づけばそこにあり、
気づけば知っている。
だが、
なぜ皆が同じ怪談を知っているのか
考えたことはあるだろうか。
今回は、
「怪談そのもの」にまつわる、不思議な話を紹介する。
気づくと知っている怪談
トイレの花子さん。
音楽室の肖像画。
動く人体模型。
誰かから聞いた記憶はある。
しかし、
最初に聞いた瞬間を覚えていない
という人は多い。
まるで、
最初から知っていたかのように。
誰が語り始めたのか分からない
怪談は、
「〇年生の先輩から聞いた」
「友達が知っていた」
そう語られることが多い。
だが、
その先をたどろうとすると、
必ずどこかで途切れる。
最初の一人が、
どうしても見つからない。
知ってはいけない内容が混ざることがある
多くの怪談には、
「ここから先は言わないほうがいい」
という部分がある。
- 名前を呼ぶ回数
- 見てはいけない時間
- 最後まで話してはいけない結末
途中で話を止めるのは、
怖いからではなく、
知ることで起きる何かを
避けているのかもしれない。
怪談は形を変えて残る
校舎が建て替えられても、
怪談は消えない。
- 場所が変わる
- 登場人物が変わる
- 内容が少しだけ変わる
それでも、
話の核だけは残り続ける。
怪談は場所に宿るのではなく、
人の記憶に宿るのだろう。

もし怪談が「残ろうとしている」なら
怪談を語るとき、
なぜか声を潜めてしまう。
笑い話のはずなのに、
どこか慎重になる。
それは、
怪談がただの話ではなく、
語られることで生き続けるもの
だからなのかもしれない。
まとめ
怪談が怖いのは、
幽霊や怪異が出てくるからではない。
- いつの間にか知っている
- 誰が始めたのか分からない
- 消そうとしても残り続ける
その存在そのものが、
すでに怪談なのだ。
もし次に誰かから怪談を聞いたとき、
少しだけ考えてみてほしい。
——その話を、
あなたはどこで知ったのだろうか。


コメント