
北海道北見市と遠軽町を結ぶ石北本線・常紋トンネル。
心霊スポットとして語られることの多いこの場所は、単なる怪談の舞台ではない。そこには、日本の近代化と北海道開拓の裏側で犠牲となった人々の、あまりにも重い歴史が刻まれている。
北海道近代化の裏で生まれた「タコ労働」

明治から大正にかけて、日本は急速な近代化を進めていた。その一環として、北海道では鉄道・炭鉱・ダムなどの大規模工事が次々と行われた。
常紋トンネルも、こうした鉄道網整備の中で建設されたものである。
この工事に従事していたのが、「タコ」と呼ばれた労働者たちだった。
彼らの多くは、仕事の内容を詳しく知らされないまま半ば騙される形で集められ、現場近くの「タコ部屋」と呼ばれる宿舎に押し込められた。外部との連絡は断たれ、逃げ出そうとすれば暴力を受ける。賃金はほとんど支払われず、極寒の北海道で過酷な重労働を強いられたという。
栄養失調や事故で倒れても、まともな治療は受けられなかった。
働けなくなった者は「役に立たない」として扱われ、命を落とすことも珍しくなかったとされる。
常紋トンネル建設で語られる異様な噂
常紋トンネルの工事現場では、特に労働環境が劣悪だったといわれている。
険しい峠、崩れやすい地盤、そして工期短縮の圧力。こうした条件が重なり、多くの労働者が命を落とした。
その中で生まれたのが、「人柱」の噂だった。
逃亡を企てた労働者や、衰弱して働けなくなった者が見せしめとして殺され、そのままトンネルの壁や地中に埋められたという話である。
この噂は工事関係者や周辺住民の間で語り継がれ、やがて怪談へと姿を変えていった。
語り継がれる数々の怪異
常紋トンネル周辺では、開通後から現在に至るまで、多くの心霊現象が噂されてきた。
・雨の日にトンネルを通ると、「腹が減った」「飯をくれ」とうめき声が聞こえる
・夜、信号設備の点検に行くと血だらけの男に出会う
・列車の前に突然人影が現れ、急停車すると誰もいない
・トンネル内で火の玉が飛ぶ
・駅長官舎に幽霊が出て、代々の駅長が体調を崩した
こうした話は、単なる怪談として片付けられてきた。しかし、常紋トンネルの怪異譚は、他の心霊スポットと決定的に違う点がある。
人柱は「噂」ではなかった

1970年(昭和45年)、常紋トンネルの内壁補修工事が行われた際、作業員が壁の中から人骨を発見した。
さらに調査を進めると、頭蓋骨や複数の骨が見つかり、実際に人がトンネル内部に埋められていた可能性が極めて高いことが判明したのである。
この出来事は新聞やテレビでも報道され、それまで「怪談」とされてきた数々の噂が、一気に現実味を帯びることになった。
常紋トンネルの人柱は、古来の信仰的な儀式ではない。
労働者の遺体を隠すため、あるいは他の労働者を支配するための、極めて非人道的な行為だったと考えられている。
慰霊と追悼の動き

この事実が明らかになる以前から、地元では「タコの祟り」という言葉が語られていた。
山菜採りが穴に落ちて白骨を発見した、地中から何度も骨が出てくる、といった話が後を絶たなかったからだ。
1959年には、犠牲者を供養するために「歓和地蔵」が建てられ、1980年には「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建立された。
碑文には、北海道開拓の陰で踏みにじられた人々の尊厳を忘れてはならない、という強い言葉が刻まれている。
心霊スポットとして語られる理由
常紋トンネルが「北海道最恐」とまで言われる理由は、単に怪談が多いからではない。
そこには、
・実在した過酷な労働
・記録に残らなかった死
・後になって発覚した人柱
という、否定しようのない現実が存在している。
人々が見たという幽霊や怪異は、恐怖心が生み出した幻かもしれない。
しかし、その恐怖の根底には、「確かにここで多くの人が理不尽に命を落とした」という事実がある。
現在の常紋トンネルについて
現在、常紋トンネルは現役の鉄道施設であり、立ち入りは禁止されている。
心霊スポットとして訪れることは、極めて危険であり、法律にも触れる可能性がある。
ここは「肝試しをする場所」ではなく、北海道の発展を陰で支え、名も残らず消えていった人々を想起する場所だと言えるだろう。
おわりに
常紋トンネルの怪談は、単なる娯楽としての心霊話ではない。
それは、語られなかった歴史が形を変えて残ったものだ。
幽霊として語られなくとも、北海道の各地には、同じように無念のまま倒れた人々が眠っている。
常紋トンネルは、そのことを今も静かに伝え続けている場所なのである。


コメント